理念

理念

 私の政治理念は常に「人」にあります。人としてどうあるべきか、まず始めに人間石原修三として私の思考は始まります。我々、政治家は必ず選挙によって選出されている訳ですから、当然、支援者の方々との関係というのは存在します。しかしその部分を仕方がないと開き直って当たり前のように利益の誘導を行うような事は一人の人間として自分が何故政治家として存在しているのかを考えたとき、きっと答えはNOになるはずです。だから私は、いつも人として判断を行いそれをご理解いただける温かい支援者の方々にお支えいただきながら今日まで活動を続けています。

政治家のあるべき姿

 私の中の政治家のあるべき姿は、悪戯に自らの功績や実績を自慢するものではなく日本国の国民や国益の為にどうすべきかを常に自らの信念のもとに万人の代弁者として考え行動するもので、自らの保身、党利党略の為に行動するものではない。現在、私の目には非常に残念ですが多くの政治家と言われる方々にその様な姿勢を感じる事は出来ません。これは選挙にも原因はあると思います、ただ単純に人気取りの選挙になり、その人物が本当に鉄の意志を持って世の為、人の為になるような人物なのかどうかを見極めることが難しくなってきている、人々の同情を誘い好感を得ようとパフォーマンスを行い有権者に表面的な選挙を展開する候補者が増えた事で本当の政治家と職業政治家という区別が難しくなって来たことにも政治家というものの本来あるべき姿を遠い理想論にしてしまっている様に感じます。政治には勿論多くの知識や理論は必要です、しかし、それを貫き通すのは何者にも負けない折れない心なのです。私は常に自らをそのあるべき姿におき挑戦し続けてきました。それは、これからも私が政治家である以上変える事はありません。私が兵庫県議会副議長に就任した時にある支援者の方に言われた言葉に「山高きが故に貴(とお)からず。樹(き)有るを以て貴しとす・・・」と言う言葉がありました、これは山が高いから偉い訳ではなく、木があるから偉いんだという言葉です、つまり、政治家だから偉いわけではなくそれに見合った充分な仕事をするから偉いんだという事です、まさにその通りであります。

社会のあるべき姿

 昨今、社会は急激な生活の変化に伴い治安の低下、犯罪の若年化、いじめ、ひきこもり等々、様々な問題が噴出しています。私が描く理想の社会は「頭の固い古いやつだ」と思われるかもしれませんが私が青春時代を過ごした昭和30年代の社会なのです。「あそこの親父は滅茶苦茶怖い」とか「あそこのおばちゃんはいちいちうるさい」とか地域ので生活する上で「誰が見ているかわからない」という若干の緊張状態の中で生活が営まれる事で社会や地域のルールに敏感になり身にしみて覚えていきました、これは、その当時の親の社会にも言える事だと思います。今の社会は元々日本人が持っていた農耕民族としての集団生活意識からかなり個人主義の生活意識に変わってきているように感じます、しかし完全に個人主義という訳ではありません、都合の良い時は誰かだけを悪にし集団(団体)に押しつけ本当の当事者たる人が責任から逃れるような行動を多く見受けます。また逆に近所付き合いというような面倒なものには関係ないと言い切ってしまう、しかしそれでは生活に限界があります、ゴミステーションなどの掃除や子供会、誰がするの?自分はイヤだ!では行政?それは違いますよね。みんなしっかり誰かのお陰で生活できているのです、個人主義では生活できないのです。世の中はいつも誰かのお陰様で存在している、そんな感謝の気持ちを忘れない社会作りが私の政治信条としてあげる言葉の『人・まち・暮らし』。私は、社会を作る要素を3つに分けて考えています、一つ目が「人」未来を担う子供たちに「感謝・感激・感動』の心を育み豊かな人間性を持った健全な青少年を育成すること。これは、そのまま地域の日本の財産になると考えています。そして二つ目の「まち」を彼らが創造していく、人と人との確かな心の繋がりを築き地域の連携や誇りを造り三つ目の「暮らし」に地域の安心を作り出し、地域が「人」を育てだす。そして、「まち」、「暮らし」と理想的な循環が始まると考えています。

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